崖っぷち

嫁が子供を連れて実家に帰った。

年が明けて以降、一級建築士試験の勉強を続けていた。

仕事の合間合間の一服時間。

みんなから離れて、一人でトラックの中で寝袋で暖をとりながら。

帰宅後は子供たちが小さくてあまり勉強もできないので、なるべくこれまで通り過ごした。

朝勉は一昨年のような午前4時起きができず、5時を回ってから小一時間だけ勉強。。。

なんて日々だった。

こんな日々に嫁が不満を抱いていたのはわかっていたけど、それよりもう何か月も前からたまに噴火する火種があった。

長男のピアノ問題だ。

嫁さんは高校の音楽教師。子供のころからピアノを習い、なんぞ有名な賞を取ったこともあるらしい。

ピアノで食べることが難しいことはよくわかっており、「子供にはピアノやらせたくない」なんて言っていたものだが、いつのころからか、本当にいつの間にか、長男がピアノの個人レッスンを受け始めていた。

自分に相談もなしに子供に習い事をさせたことは気に入らなかったが、言うとまた喧嘩になる。

急に「週末発表会だからビデオ撮影して」なんて言われても、ちゃんとビデオを撮りに行き、頑張った長男は愛おしかった。

それでも、週の課題なるものが課されるようになると、嫁の気合の入り方がどんどん変わってくる。

子供も帰宅後に眠くて機嫌の悪い日や、母親の機嫌が悪いのを察した日など、ピアノを弾きたがらない日の方が多い。

自分にはそれが、見ていられなかった。

これまでの一年近く、何度となくヒートアップした嫁から泣いて叫ぶ長男を救うため、ピアノ室に乗り込むも、浴びせられるのは嫁曰く”中途半端な旦那”への恨み言だった。

私もヒートアップしてしまう。

そして下の子供たちも泣き出す。

こんな最低の夜を、何度も繰り返してきた。

その度に”離婚”というワードが頭をかすめるが、子供たちの将来を考えると、また同様に考える両親・義両親の説得もあり、なんとか”家族”を続けていた。

嫁にとってのキーパーソンとなっている嫁の父親を交えて何度か話をするものの、ピアノが絡むとどうしても正常な思考ができないとのこと。

何が子供のためなのかを自問自答しつつ、毎日嫁の機嫌がどうか、今日は子供を泣かせないかを心配しながら帰宅する日々が続いた。

今日から8日前の火曜日にそれは起こった。

祖母との保育園からの帰宅時、寝起きを起こされて機嫌の悪い息子。

嫌な予感。

一旦は抱きしめて宥め、自宅に戻った時には笑顔も見られたので少し安心した。

それからほどなくして

「ピアノ練習するよ~」と声をかける嫁、「うん」とピアノ室に向かう長男。

長男の機嫌が悪く、嫌がって床を蹴る音が聞こえた。

黒い黒い、いやな予感が目の前に立ちこめた。

それからの詳細は割愛するが、結局私は洗面所の扉を蹴破り、「次はピアノを壊す」と嫁に言い放った。

嫁は警察を呼び、10分ほどしてわらわらと総勢7~8人の警官や刑事が自宅に押し寄せた。

飲酒量を聞かれ、警官に諭される。

自身も、誰かに聞いてほしくて、どうしていいかわからなかったこの問題が、長く続いていること、嫁に適応障害の診断があり、精神科に通い続けていること、ピアノが絡むと何も受け入れられなくなることなどを話した。

話を聞きに来た警官や刑事、生活安全課とやらの職員にも、結局なにもできない。

落ち着いて話をするよう諭され、21:00過ぎに子供3人と並んで寝た。

嫁は私の両親(警察に電話している最中、大事になると感じたためすぐに私が助けを求めた)と警察と事務所にて話をし、23:00ごろに自宅に戻り、一人で別室で寝たようだった。

その日のうちに、「ここまで大事になっては放っておけない」と判断した私の両親から、嫁の両親に連絡がいく。

金曜日の午前中に全員で話をしましょうという流れに。

それまでの二日間、嫁は火曜のことなど忘れたように、ただしっかりと私のことは無視しながら、いつも以上に子供に優しく接してくれていた。

いつもなら「止めて!」と叱責する子供のちょっとしたおふざけにも笑顔で付き合い、私もほんのちょっとだけ「いつも、いつまでもこうならな…」と思えた。

金曜の朝。

嫁は3人の子と自分の車で実家へ向かい、私は自身の両親と3人で出発する。

1時間半ほどの話し合いでは、ピアノが絡むと頭に血が上ることを指摘され、しばらくピアノをやめさせては?と提案する義父や私の両親に対して頓珍漢な答えを続けていた。

ここで無理にやめさせると、また長男に皺寄せの八つ当たりがいくかもしれない。

ひどい恨み言をぶつけるかもしれない。

私はそれが心配で、「続けてもいいと思うが、せめて貴方の機嫌が悪い時や子供の機嫌が悪い時に自分が止めるから、”休んでいい日”を作ってあげてくれないか」

と提案した。

「でも、だって、それが3日続いたらどうすればいいの?」とまた義父に助けを求める嫁。

私と、私の両親には、限界であった。

とりあえず、「休んでいい日を作りましょう」という曖昧な結論で、話が終わることに。

私は最後に気力を振り絞って、妻に

「よろしくお願いします」

と伝えるが、相変わらず納得できない顔の妻は「よろしく」とだけ答えた。

その日は嫁・子供は嫁実家に泊まり、翌日帰宅する筈であった。

翌土曜日、自宅を訪れた母親から、昨日の話し合いのあとに父親と二人で話をしたことを伝えられた。

「親になったのなら、何があっても子供から離れるなと思っていたが、あなたたち2人の様子を見ていると無理に一緒にいることの方が悪い結果になると思った。

彼女の聞き分けのなさには私たちももう許すことはできない。私たちのことは考えなくていいから、あなたが自分で『もう無理だ』と思ったら、これ以上は止めない。自分で決めなさい」

申し訳なさでいっぱいだった。

その夕方「今日は帰りません」とだけ書かれた短いLINEが入る。

わかっていながらも、「もうちょっと気持ちの整理をつけるために一人で休みたいのか?それとも昨日の話し合いに納得がいかないのか?」という旨を返信する。

そこから、

「もう生きていたくない」「私にかかわらないでほしい」

など、いつもの感情をむき出しにした文章の応酬。

今まで何度もこんなことを繰り返してきたけど、もうダメだろうなと思った。

そのまま酒を飲み、深夜1時すぎにやっと無視していたLINEに返信した。

自分の感情をできるだけ相手に伝わるように紡いだ言葉。

でも、相手にとっては「自分の事しか考えていない」と言われてしまうであろう言葉。

その中に、”書類は準備しておく”とも打った。

未明4時頃、いやな予感と共に目が覚める。

こんな時は、パニックが襲ってくる。

「子供に会えない日々に意味はあるのか?」「子供が嫁や嫁に再婚相手ができたらひどいことをされないか?」「死ぬまで会えないのか?」

こんなパニックでさえ、ここ数年、何度もこんな時に私を包もうとしていたものだった。

ひどくなる前にキッチンに向かい、頓服の抗不安薬を飲む。

薬が効くまでの間、タバコを吸いながらスマホを眺める。

数時間前に打った最後のLINEも確認した。

そうこうしているうちに30分が経過し、気持ちは楽になっていった。

そして、すぐにまた眠れた。

今朝、薬のせいか10:00を過ぎて起床した。

パジャマのまま洗い物をしたりしていると、唐突に嫁が玄関に現れた。

そのまま無言で子供たちの服にアイロンをかけ、荷支度をしている。

何も話すことはなかった。

これも何度も繰り返してきたじゃないか。自分の気持ちを押し殺しても、できるだけ優しい言葉をかけて嫁を引き留めたじゃないか。

そして、やっぱりダメだったじゃないか。

2時間近く、当面の着替えや保育園の荷物を整理して車に積み込んだ嫁は、

「じゃあ行きます」とつぶやいて玄関を出た。

私は妻の顔も見なかった。

ちょっとしてキッチンに向かうと、紙袋が。

いつもこうじゃないか。

最後に分別のある体を装い、第三者からみてもいい印象を作っておこうってわけか。

そんな風にしか思えなかった。

それぐらい、いろいろなことがあって、いろいろなことを考えた。

人間として欠陥があるのが、私なのか、妻なのか。

どちらも

が正解だろう。

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