百年の孤独

妻が子供を連れて家を出て一週間が経過した。

日曜に簡単な荷物を取りに来て、件のチョコレートを置いていって以降、今日現在まで、妻とは一度も連絡を取っていない。

お互いもう一緒に暮らすことはできないだろう。

なんて思いながらも、LINEの通知が来るたびに、妻からではないかと少し緊張する。

何よりも頭を支配するのは、子供たちの事。

かわいい盛りの3人が、父親から離れてどうしているか。

3人とも母方の祖父母が大好きで、祖父母もとてもやさしい。

だから、いま現在の生活については大きな心配はしていない。

将来のことを想い、胸が締め付けられる。

一週間、子供たちを思い出すものからはなるべく目を背けた。

昼飯を選ぶときも、コンビニで納豆巻きを手にしてから

「長女が好きなんだよな」

なんて思い出して、昼飯中に泣くのもみっともないので棚に戻した。

スマホの待ち受けも子供たちの画像から、無味無臭・幾何学的なデザインのものに変更した。

スマホを見ようとするたびに、少し自分を和ませてくれたものが、逆に自分を締め付けるものになってしまうから。

自由ではあるが、意味のない時間の余裕。

一級建築士試験に向けた勉強も、ここ数日は鈍っている。

かわりに、時間がなくて読みかけて放置していた

ガルシアマルケスの「百年の孤独」を読み耽った。

吸い放題のタバコも、口の中が酸っぱくて美味くはない。

今日は午前中に百年の孤独を読了し、以降は何をすることもなく過ごしていた。

KALDIへコーヒー豆を買いに行くついでに、近くの公園に立ち寄り散歩しようと、

先日購入したばかりのA7Cをカバンに詰めて持ち出したが、雪が降ってきたのでやめた。

というより、このカメラで撮りたいのは風景ではなく、やはり子供たちなのだ。

風景写真にさして興味はない。

帰宅して風呂掃除をする。

妻の髪の毛で詰まっていた排水溝をパイプユニッシュでキレイにし、詰まりを解消した。

常に子供たちのことを考えているが、まだ自分から妻に連絡しようとも思わない。

「俺が悪かった。帰ってきてくれ」と懇願したところで、ほんの数日でまた元の険悪な状態に戻り、喧嘩が始まり、子供たちが泣く。

そんな未来しか見えない。

頭と胸を満たす数々の感情を文章にしてみようとしたところで、何かが癒えるわけでもなく、またすべてを吐き出せるわけでもない。

断片的な言葉たちに、自分でも飽きてくる。

きっと自分は、家庭を持てないタイプの人間だったのだろう。

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